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 昭和46年(1971年)7月30日、午後2時5分頃、雫石町上空で爆発音があった。

 無数の断片が煙の尾を引きながら落ちてくるのが確認され、町内の南田圃(みなみたんぼ)には飛行機の胴体部分と思われるものが落下、その他の破片も数か所に落下、そのうちの一つは民家の屋根を突き抜け、居間に落ちた。

 間もなく、ジェット戦闘機の機体を発見、続いて町内の下久保(しもくぼ)地内で自衛隊パイロットのパラシュートを収容した。

 札幌発東京行きの全日空機B727(58便)と自衛隊機(F86戦闘機)が、8,000メートル上空で空中衝突の後、墜落し、全日空機の乗客155名、乗員3名、客室乗務員4名の計162名の尊い命が失われた。

 ただちに、雫石町では全日空機遭難対策本部を設置し、また、雫石町現地対策本部を町立安庭小学校に設置した。

 雫石町の岩名目沢、前の山、妻の神沢附近一帯で遺留品を発見し、町立安庭小学校に仮安置した。

 東北各県機動隊、東北管区自衛隊員、町消防団による遺体捜索は不眠不休で続けられ、御遺体全てを発見、収容し、かけつけた遺族の方々に身元確認の上、8月6日に引き渡すことができた。

 この間、地元の町場地区はもとより、町内全域にわたって、積極的な支援活動が行われ、炊き出し、遺族や来町者に対しての接待、収容資材の調達協力、宿舎の確保、諸般の案内等、各般にわたり町民こぞっての協力があった。

 雫石町の対策本部は8月11日に岩名目林道入口で162柱の慰霊供養を行い解散した。また、9月に入り、機体の残骸があり、当時の事故の様子が偲ばれる中、町では自衛隊の協力を得て、現地、前の山の頂きに供養塔を建立し遭難者の冥福を祈った。

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